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  選挙時の街宣車放送をめぐって
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Koji Nagahata


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はじめに

 12都道県の知事選挙を皮切りに,統一地方選挙が始まりました.大震災下という状況を反映して,例えば東京都知事選では1党を除き告示日恒例の党首の第一声を自粛したり,複数の候補者が選挙カーやスピーカの使用を自粛するというように,これまで行われてきた選挙と比べると,静かな選挙戦となりそうです.
 永幡研究室では,拡声器騒音問題について研究を続けてきており,その一環として選挙時の街頭宣伝についての調査を行ったことがあります.詳細は以下を読んでもらうこととして,結論を先に述べておくと,選挙カーによる街宣は立候補者が考えているような効果はなく,乳幼児の昼寝の妨げになる等の育児の妨げとなっており,少なくとも育児中の母親にとってはなくすことが望ましいというものでした.冷静に考えればすぐに気づくように,都市圏の場合,有職者が平日の日中の住宅街に居ることは少なく,育児中の母親は,高齢者と並び,選挙カーの音を耳にする主要な有権者であると考えられます.立候補者の方々には,そのような人々の声にぜひとも耳を傾けていただきたいと思います.
 今回の選挙でできることが,今後の選挙ではできないということはないと思います.今回の選挙をきっかけとして,今後の選挙においても静穏な環境が保たれるよう願い,私たちの研究成果を以下で紹介したいと思います.
 なお,以下で紹介する研究は,2008年に行政社会学部を卒業した有永由子さんを中心に行ったものであり,当時大学院生であった鹿俣美穂さんにサポートしてもらっています.


公職選挙立候補者の考える街宣車放送の効用について

概要
 公職選挙立候補者の考える街宣車放送の効用について,福島市を活動拠点とする立候補者にアンケートを行った.その結果として,立候補者は目的をもって街宣車放送を行っているが,効果を感じている者と,そうでない者がいることが分かった.また,感じられた効果と目的とは必ずしも一致するものではなく,立候補者が街宣車運動に期待している効果が実際に得られているかどうかは不明である.立候補者は,街宣車放送の必要性を感じながらもその効果に疑問を抱き,他の有効な手段があれば街宣車放送でなくても良いと考えている.そして,立候補者の多くは街宣車放送を行うことで騒音問題を引き起こすという意識を持つことがわかった.


詳細情報
 公職選挙立候補者の考える街宣車放送の効用について (pdf)
 → 日本音響学会騒音・振動研究会で発表した論文です.(日本音響学会騒音・振動研究会資料N-2007-14)


育児中の母親は選挙時の街宣車放送をどのように聞いているか

概要
 育児中の母親は選挙時の街宣車放送をどのように聞いているか,新生児・乳幼児の子供を持ち,自宅にて子育てを行っている母親100名を対象として,インタビュー調査を行った.その結果,育児中の母親にとって街宣車放送は投票の参考になっておらず,騒音と捉えられていることが分かった.また,昼寝中の子供が街宣車放送によって起こされてしまう等,育児に対して多様な影響をもたらしていることも明らかになった.多くの育児中の母親にとって,街宣車放送は無くなることが望ましいと結論付ける.


詳細情報
 育児中の母親は選挙時の街宣車放送をどのように聞いているか (pdf)
 → 日本音響学会騒音・振動研究会で発表した論文です.(日本音響学会騒音・振動研究会資料N-2008-20)


おわりに

 上で紹介した2本の論文を読んでいただければわかるとおり,選挙カーによる街宣は,立候補者自身にとっても,目的と効果が必ずしも一致しているわけではなく,情報の受け手である育児中の母親が求めている情報が決して伝わっているわけではないという状況です.このような無意味な行為を,今後も続けなくてはならない正当な理由はあるのでしょうか.
 さらに,無意味な放送を続けることは,音環境を悪化させるだけでなく,国際的に喫緊の対応が求められているCO2排出量削減にも反する行為であると考えます.選挙カーによる街宣を続ける方々は,そこまで考えた上でなお,行い続けているのでしょうか.
 このようなことを述べると,一部の政党関係者から,選挙カーによる街宣行為は表現の自由の下に行われる正当な行為であるという反論がきます.最後に,このことについて,少々述べておきたいと思います.
 表現の自由という語が意味する内容の中に,表現する内容の自由(どのような内容の表現を行うのかについての自由)があることは,疑いようのない事実でしょう.この意味において立候補者に認められている表現の自由とは,どのような思想・心情を語っても構わないということであり,その意味では,語るべき内容を持たない候補者が,ひたすらキャッチフレーズと自分の名前を連呼するという行為も認められるべきものであるとは思います.
 しかしながら,「表現の自由」という語が意味する内容の中に,その表現を聞きたくない人に対して強制的に聞かせるということまでが含まれているのでしょうか.人々に自由が認められるのは,あくまでも,公共の福祉に反しない限りであり,ある音を聞きたくない人に対し,半ば強制的に聞かせるという行為は,公共の福祉に反しているのではないでしょうか.政党活動のビラを撒くために,マンションの管理組合の意志に反して立ち入った人が,住居侵入で有罪となった最高裁判例は,このことの証左だと考えます.このような考えから,表現の自由の名の下に,現行の選挙カーによる街宣行為を正当化しようというのは,無理があると考えます.


問い合わせ先

永幡 幸司
E-mail:nagahata@sss.fukushima-u.ac.jp



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