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  「安全」を決めるのは誰?
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Koji Nagahata


archieves
 放射線を浴びた場合の人体に対する影響には,短期的影響と長期的影響があることが知られています.このうち,長期的影響としては,癌にかかるということが知られており,10mSv浴びた場合で1000人に1人,1mSvの場合で1万人に1人の割合で発がんすると言われています.このことについて,テレビの解説などで専門家である科学者が「そもそも日本人の半分は癌になるので,被曝によりたとえ1mSv浴びたとしても,1万人に対し5千人が癌にかかっていたところが,5001人に増える程度です.このように現在の放射線量は安全なもので,心配することではない」といったような説明をすることがあります.このような,科学者の言うところの「安全」とは,どのようなものなのかについて考えてみましょう.
 まず,皆さんに質問です.Aというものをaという量浴びた時「100人中0人が癌になる(すなわち誰も癌にならない)」ということがわかった場合,これは安全ですか.おそらく,この質問には全員が「安全だ」と答えるでしょう.逆に,「100人中100人が癌になる(すなわち全員が癌になる)」という場合はどうですか.この場合は,全員が「危険だ」と答えることと思います.では,「100人中50人が癌になる」と場合はどうでしょう.「100人中10人が癌になる」場合は?,「100人中1人が癌になる」場合は?,….おそらく,多くの皆さんは癌になる割合がある程度以上高いと感じる場合は「危険」と答え,ある程度低いと感じた場合は「安全」と答えるのではないかと思います.では,その境目は?
 上の問いかけから勘付いていただけたのではないかと思いますが,安全であるかどうかは,皆さんがどのように「感じるか」で決まります.科学ができることは,あるもの(こと)の人体に対する影響が,どの程度のものであるのかを示すことだけです.したがって,上述の専門家の説明のうち,「そもそも日本人の半分は癌になるので,被曝によりたとえ1mSv浴びたとしても,1万人に対し5千人が癌にかかっていたところが,5001人に増える程度です.」という部分は,科学的な知見に基づいた発言であると言えるでしょうが,これについて「安全」というのは,この発言をした科学者にとって「安全」であるという意味に過ぎません.だから,科学者が「安全」と言ったから「安全だ」と鵜呑みにしてしまうことは,科学を信じていることを意味するのではなく,科学者の感覚を信じていることに過ぎません.このことに注意していただきたいと思います.
 その上で,癌にかかる人が1万人に対し5000人から5001人に増えることが,本当に手放しで安全と言えることなのかを考えてみたいと思います.
 巷には健康雑誌やテレビ番組の健康特集などの健康情報がたくさん流通しており,その中でよく取り上げられる話題の一つが「癌予防」であるように思います.また,「癌予防」でホームページの検索を行うと,莫大な数のページが検索されます.逆に「○○を食べると癌になる」といった類の情報に詳しい方は,私の身の回りにも何人もいます.これらのことは,「癌にならない」ということがとても大事なことであり,そのために努力できることはどんな些細なことでも実践しようという人が,世の中には少なからず存在することを意味しています.癌予防を謳った健康食品産業が産業として成り立っているということは,そのような人がそれなりの人数いるということを意味しているのではないでしょうか.このような立場の人から見れば,癌の発症率をあげるようなことは,たとえリスクが小さくても好ましくないことであり,決して安全とは言えないであろうと思います.このような事例があげられるということは,手放しで安全と言えるものではないと言えるでしょう.
 あることが安全であるかどうかを決めるのは,決して科学者の仕事ではなく,私たち一人一人に与えられたの課題です.科学者の仕事は,私たちが安全性を判断するための科学的知見を蓄積し,それをわかりやすい形で市民に提示することです.そして,例えば国の安全基準のように,ある集団における安全の基準は,集団に属するもの全員が意見を出し合い,合意形成をしながら決めていくべきものです.ある集団にとっての安全を.一部の(御用)学者の感じた,集団指導部にとって都合が良い安全によってのみ決定し,それに反する意見は流言や風評と片づけてしまうのは,全体主義と断じざるを得ません.
 世の中を本来あるべき姿にしていくためにも,まずは,皆さん自身が放射線のリスクのどこまで受け入れることができるのか熟考してください.そして,皆さん自身にとって受け入れられないリスクを「安全」だと言われた場合は,それに対して異議を唱えてください.安全を決めるのは,国でも,御用学者でもなく,私たち皆の声なのですから.

(2011/4/7)




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