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  震災報道に思う
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Koji Nagahata


archieves
 震災一年後の一月十七日、マスコミによって全国的に有名になった神戸の菅原市場に行く機会があった。
 その日、地区の慰霊祭が執り行われたせいか、通路一杯の客で賑わっていた。市場には、売り声が飛び交い、大変な活気である。そして、その様子はおびただしい数の取材陣によって、取材されていた。それらの報道を見た人は、多いのではないか。
 それから二、三日して、再び菅原市場に出かけた。震災前だったら最も賑わっているはずの時間帯に行ったにも関わらず、そこにいたのは、楽勝で数えることができる程度の客であった。それが、日常の現実である。
 特化された日に特化された場所を報道すること。確かにこれは、報道の為すべき重要な使命であろう。しかし、これだけでは、単に通り一遍の報道に他ならない。日常あっての特化された日なのである。
 通り一遍の報道では、事の本質は伝わらない。しかし、事の本質を伝えることこそ、報道の本義なのではないか。

(初出:西日本新聞1996年2月3日付,掲載時タイトル:菅原市場からの取材・報道に注文)




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