top

  「国立大学法人福島大学と独立行政法人日本原子力研究開発機構との連携協力に関する協定書」の締結
  についての学長声明の2つの問題点の検討
top

Koji Nagahata


archieves
 2011年7月20日,福島大学は日本原子力研究開発機構との間で連携協定を締結した.この締結は,社会的に大きく感心をもたれているようである.例えば,この文章の推敲をしている2011年8月2日現在,googleで「福島大学,日本原子力研究開発機構,提携」というキーワードを入れて検索すると,約29,200件という検索件数が得られる.そして,検索されたページの中身を見ると,少なくとも上位で検索されるページの多くにおいて,「疑義」「不穏」「懸念」といった否定的なキーワードを伴っていることが特徴的である.これらのページでは,日本原子力研究開発機構が原子力促進派の総本山的機関であることへの懸念のような,連携内容の問題から,学長が有志教員からの要望に対して自ら「健全な大学運営は構成員による意向を踏まえて行われるべき」と述べたことを早速反故にしたという,手続き論的問題まで,多岐に渡った論点からの批判がなされている.
 このような状況を受け,福島大学学長は7月25日付で,「本学と日本原子力研究開発機構との連携協定について」と題する声明を発表した.この声明と,例えばgoogleで検索される,提携に否定的な見解を示すページに書かれている内容を状況証拠として併せて検討すれば,この声明が否定的な世論の火消しを目指したものであろうことは,多くのものが認めることであろう.
 この声明をめぐって,提携批判の立場から検討を加えることも,もちろん可能ではある.しかしそれは,既に様々なところで指摘されている議論に屋上屋を架すだけとなりかねないので,ここでは立ち入らない.その代わりに検討したいのは,それらの問題を除いてもまだ残る,あと2つの問題についてである.
 まずは,1つめの問題である.7月25日の学長声明では日本原子力研究開発機構との連携理由を

本学には放射能・原子力問題に関する専門家が一人もいないというのが現状です。

と述べている.この認識自体は,私の認識とほぼ一致している(なお,ここで「ほぼ」としたのは,社会科学の立場から原子力問題を扱ってきた専門家は存在するようなので,文字通りに読めば上の記述は正しくないからである.).では,何が問題なのか.
 既に指摘したとおり,学長は2011年3月25日に発表した声明の中で,

 また、震災に加えて原発事故の影響により、福島大学では、現在自然放射能値より高い値が観測されていますが、3月15日以降明瞭に減衰しており、開校までにはさらに1/30 程度に減衰し、全く問題なく、安全に皆さまを迎えることができるものと考えております。

と述べ,さらに同じ文章の中で,

 大学は学問の府であり、科学の砦です。非科学的な憶測や風評に惑わされることなく、学生のみなさんの安全と安心を確保しつつ、教育・研究の環境を整えて皆さんをお迎えしたいと思います。

と述べている.さらに,これも既に指摘したことであるが,2011年4月21日に発表した声明においては,さすがに放射線量が1/30に減少するというあまりにも非科学的な主張は取り下げたものの,

 放射能被曝については,本学における汚染核種の分析も終了し,被曝予測量を正確に計算することができるようになりました。その結果,5月1日から1年間の大学屋外での被曝予測量は15.0mSvから6.8mSv,屋内では2.3mSvから1.1mSvとなっており,健康被害が発症する被曝量ではありません。また,大学構内で最も放射線強度が強いところで2.4μSv/時と4月19日に文部科学省が屋外活動の制限基準と定めた3.8μSv/時より低い値になっています。

と述べ,さらに,

大学は安全管理を徹底し,環境保全に努めてまいりますのでご理解のほどお願い申し上げます。

と結んでいる.これらの記述で述べられていることは,一言でいえば「福島大学は科学的見地から安全だと言える」ということであり,もう一言付け足すならば「福島大学は安全な環境を確保するための活動を行っている」ということである.
 しかしながら,ここにきて「本学には放射能・原子力問題に関する専門家が一人もいない」がゆえ,放射能・原子力問題の専門家と手を組む必要があると主張しはじめた.では,これまでの安全宣言は,誰が何を根拠として述べてきたものなのであろうか.また,安全な環境を確保するための活動を行ってきたことになっているが,それらの活動は本当に安全な環境を確保するための活動となっていたのであろうか.
 7月25日の声明は,これまでの安全宣言は,専門家の科学的根拠に基づいた見立てに基づいたものではなく,何の根拠もないにも関わらず,「科学の砦」なる機関の代表として行ったものであることを言明したことに他ならない.さらに同声明は,安全につながるという専門的根拠は何もない活動を,安全な環境を確保するための行動と称して行ってきたことを認めたことに他ならない.以前から主張しているとおり,公的機関であり学術機関である大学の長たるものが,何の根拠もない言説を流布することが,風評の源泉の1つである.すなわち,7月25日の声明は,学長自ら,風評を流し続けてきたことを認めたことを意味する.このようないい加減なことを代表名で発信し続けた機関に,一体,誰が自分たちの将来に渡る安全・安心を託すことができようか.
 続いて,2つめの問題である.7月25日の学長声明では

大学構内はじめ福島県域を一刻も早く安全な環境に修復するには、原子力に関する専門家の協力を得て、放射能の除染・除去の効率的な技術開発を行うことが喫緊の課題になっています。

と述べている.この文章から読み取れることは,大学構内も安全な環境ではないということである.これは,前述した「福島大学は安全である」という宣言と矛盾する発言であることは明白である.福島大学は,安全なのか,安全でないのか,一体どちらなのであろうか.
 もし,福島大学が既に安全であるのであれば,この声明における福島大学も安全な環境ではないという主張は,日本原子力研究開発機構と提携を結ぶための嘘であったということになる.自分の行動を正当化するための嘘は,明らかに正義に適わない行為であり,断じて許されない行為である.
 逆に,福島大学が安全でないというのが事実であれば,これまで福島大学が学長名で流布してきた風評は,風評らしく大嘘であったことになり,これまた断じて許すことができない.この場合,これまでの安全宣言を信じて通学してきた学生たちと,その学生を送り出してきた保護者の方々に対して,大いなる背信行為を行ってきたことを意味し,そこには責任問題が発生する.
 さらに,7月21日付の読売新聞では福島大学構内の除染は「8月に行うオープンキャンパスにも,多くの人に安心してきてもらえるよう」行ったと報道されている.しかしながら,7月25日の学長声明では

現在、安全性をより確保するために、大学構内の除染処理を実験的に実施しております

と述べられている.この記述は,福島大学が安全ではないという前提で読むと,この間行ってきた除染作業はあくまでも「実験的」なものであり,安全性については「より確保」,言い換えれば「相対的に確保」するものに過ぎないということになる.これは,すなわち,除染したからといってオープンキャンパスに安心してきてもらえるような状況ではないことを意味する.これが事実であるならば,至急周知しなくてはならない内容である.それゆえ,福島大学学長は,少なくとも福島大学が安全であるのか否かという問題について,本当は安全であるのに,日本原子力研究開発機構と手を結ぶために大嘘を述べたのか,本当に安全ではないのか,大至急はっきりとさせる義務があろう.
 以上,ここでは2点の問題を指摘したが,どちらの問題も詰まるところ,科学コミュニケーションの問題であり,3月25日の学長声明以来,私が指摘し続けてきた問題である.原発事故発生以来,科学コミュニケーションのあり方が問われ続けている中で,これだけ問題のある声明を出し続けているようでは,学長本人の見識のみならず,大学の見識までが問われかねない.そして,それは大学の信用をなくしていくことに直結している.
 このような同種の問題が繰り返されるのは,学内合意ですら取れないような問題を,独断で拙速に進めていく大学執行部の大学運営の方法に問題があると考える.それゆえ,今後同様の問題を繰り返さないためには,重要な決定を下す際は学内で十分議論し,合意形成を図りながらことを進めていくという,民主主義の最も基本的な手続きを踏まえるという方策しかないのではないか.

(2011/8/2)




目録ページへ戻る